01/03/25

お金

 経済崩壊が叫ばれている昨今ですが、巷ではどうもその危機感を感じる事が出来ないのは何故でしょう。なんとかなるさ、誰かが何とかしてくれる、といった気持ちが人々の心の奥に見え隠れするのです。

 若い人たちを中心に皆、携帯電話でメールを楽しみ、ファストフードや外食産業のお店はいつでも人々でにぎわっています。自分たちの楽しみにはお金を使う事を止めない日本人、その日本人のために娯楽を提供する企業…どこか悲しい光景を見ているような気持ちになってしまいます。

 たしかに経済が低迷するようになったため、人々が高額な楽しみにお金を使わなくなり、その影響を受けている業界も多いのですが、その反面、価格の安い商品や娯楽を提供し、繁栄している業界もある事も事実です。競争経済では当然の結果であり、だれもそれを悪いとは思わないかもしれません。

 しかし、価格破壊が進み、安ければ安いほど人々が喜びを感じるようになると、根本的な問題が出てくるのです。それは物に対する価値観の問題、つまりすべての価値観の基準がお金を基準とするようになり、同じ基準でも、かつての様に高ければ質の良い物、安ければ悪い物という単純な見方が出来なくなってしまうのです。企業は経済の低迷とともに、消費者からより一層安くて良い品を迫られ、生き残りを賭けて開発していきます。それに伴い、安い商品は質が悪いという古典的定説は崩れ、品質の差が無くなるにつれて消費者は安い物ほど企業努力の結果であり、良い商品…という価値観へと変わって行くのです。そして物に対する価値観がお金を基準にするように変わってしまい、物の良し悪しは中身では測れなくなってしまうのです。

 たとえば私が油揚げを自然食品店で200円で買ったとすると、人はなぜそんな高いものを買うのか、どこそこでは倍の量で80円で売っていると言うのです。つまりその商品は高いのでダメな物、それを売る店もダメな店、と言うことになり、なぜその商品がその位高いのかを説明しようものなら変人扱いされてしまうのです。皆さんもそのような経験をされた事があるでしょうし、お客様から聞いたこともあるでしょう。現在の価値観では、物をその本質的な価値で見れば見るほど、その人は肩身の狭い生活をしなくてはならなくなるのです。

 これは今に始まった事ではありませんが、近年特に急速に推し進められ、あっさりと庶民の間に浸透してしまったのです。

 さて、ここで問題なのは、安い物を買ってはいけないと言うことではなく、なぜそれが安いのかを考えなければならないと言う事です。その商品を安く提供するために、どこに皺寄せが来ているのかを考える必要がある、そしてその商品を本当に買う必要があるのかどうかを考えて欲しいと言う事を言いたいのです。私たちが少しでも生活を楽に楽しく、そして少しの贅沢をしたいがために、誰が苦しんでいるのかを知らなければならないのです。

 かつて、それは第三世界の人々、そしてその自然環境に集中していました。しかし、経済のシステムが複雑になるにつれ、その皺寄せがどこへ広がっているのか見えなくなってきているのです。確かな事はかつて苦しんでいた人々はさらに苦しくなり、苦しんでいる人々の層はさらに広がっているという事です。私たちの住む日本でさえ、携帯を持ち、100円を切る価格のハンバーガーを不必要に食べ、ダイエットしている学生たちの傍らに、生きる力を奪われたホームレスの大人たちが遠巻きにされながら生活をしている光景が当たり前になってきているのです。

 この社会構造を変えるのは、極めて政治的な問題であり、個人にその責を問うのは無理かもしれません。しかし、それでも言いたいのです。あなたが100円得をするためには100円損をする人がいる、そしてその人にとっての100円は生きる為の大切な100円であったのだと。

 根本解決はシンプルかつローカルな社会構造を作る事でしょう。しかし、それは容易い事ではありません。その対処的、あるいは段階的方法としてフェアトレードがあります。そしてそれに伴う個々人の意識変革が最も重要だと思うのです。大きな社会的変革を迫り、プロジェクトを実行する事も大事な事かもしれません。しかし、世界に生きる一人一人の人間を大切に思い、自然系の中に生きる生物として、自己の日常生活を正していくことが出来なくては何の意味もありませんし、これこそが最も大切な変革をもたらすものだと私は信じています。

 NGOの活動も大切です。けれども現在のような経済の下、本当の価値観を見直し、変革をもたらす場としての自然食品店の役割や意義は大きいと思います。経営という問題を目の前にして大変な話ではありますが、自然食品店の皆さんにはその意義を大切にしていって頂きたいのです。

 蛇足ですが、現在の価値観による社会構造の一番の被害者は一般の消費者かもしれません。コストを追求し、自然体系から隔絶された生産に基づいた商品を供給されつづけた人間は自然から隔絶された生き物になってしまうからです。そして欲望にまかせて生きる結果、成人病や正体不明の病におかされ、高い医療費を払い、化学物質に占拠された結果、苦しみもがいて死んで行くのですから。その家族にとっても悲劇でしかありません。

福猫